正面からライバルに挑むだけでなく、揚め手からサパイパルのために根回しをするという方策を身に付けるまでになっていた。 それが、デファクト化を画策したことだ。
三・五インチ・フロッピーがデファクトになるというのなら、二インチ・フロッピーだって、デファクトになれないことはないはずだ、と考えたのである。 やがて純粋な技術の追究だけでは、会社の中ではやっていけそうにないそこで、新たな作戦として二インチ・フロッピーを業界の共通フォーマットに格上げすべく、電子カメラ協議会にデジタルデ−タ規格として提案することにした。
協議会では検討作業グループの座長となり、月に二回のワーキングをこなした。 「このアイデアが、会社の中の一グループによるものではなく、日立製作所、松下電器産業、富士フィルム、キヤノンといった鐸々たるメーカーも巻き込んだ業界としての共同開発テ−マとなったからには、そう無視もできまい・・・」。
このあたりからKのソニー・エンジニア人生は、がぜんドラマ性を帯びてくる。 ここぞと腕んだターゲットにとことん食らい付くというエンジニアとしてのしぶときと、手がけたプロジェクトは、どんな手段を使っても、また何回迂回を繰り返しても、結局はモノにするーーという、いかにもKならではのサパイパルノウハウが身に付いてきた。
それは、後にゲ−ム機開発の大迂固と大逆転の一部始終を牽引することとなる…。 ソニーのなかの,デジタル嫌いど二インチ・フロッピーに話を戻すと、結局、この二インチ・フロッピーは業界の標準フォーマットとして採用され、後にソニーの日本語ワープロのプロデュースや三洋電機のワープロに組み込まれる。
これにて誤り訂正や、高密度記録変調技術を応用した高速フロッピー技術の開発という、技術者としてのビジョンは実現し、自ら生み出した商品を世に出すというKの目的は達せられたわけだが、この頃になると、Kはもっと壮大な夢に取りつかれていた。 それが「デジタル信号処理」である。
誤り訂正の研究の中で、デジタルの可能性に目覚めたのである。 Kは、会う人ごとに、なぜソニーがデジタルをやらなければならないかを説いて回った。
「これからは絶対にコンピュータの時代がやってくる。 そのためには、ソニーの中に、強固なデジタル技術を確立し、コンピュータへの進出を目指さなければならない」。
当時、デジタルという分野は、まだまだ民生用機器の世界では、確立されたものではなかった。 今でこそ、デジタルの流れは社会全体を覆っているが、当時は、デジタル機器といってもソニーではCDプレーヤーぐらいしかないという時代。
それも八五年の頃は、アナログレコードの方がまだ優勢だった。 CDとアナログレコードが逆転するのはそれから二年後の、八七年のことである。

パソコンもマイクロソフトのMs−DOSがやっと登場してきた時代であり、難しいコンピュータを扱う人は、ごく一部に限られていた。 Kのように、マイクロプロセッサが出たら、手探りでコンピュータシステムまで作ってしまうというのは、よほどのマニアか専門分野の研究者以外にはいなかった。
Kは、この二インチ・フロッピーを手がける前の、液晶レベルメーターの開発の過程で、当時のソニーのオーディオ事業部のエンジニアと一緒に仕事をする機会に恵まれている。 その頃、半導体メーカー各社から初期の制御周囲ピットマイコンが続々と開発されて、うな機器メーカーに売り込みがかかっていた。
しかし、アナログ回路や小型のメカ設計には自信があるエンジニアたちも、四ピットマイコンといえども、小さなコンピュータを使ったプログラム開発などは未経験の分野だった。 それどころか、プログラムを開発する機材などは、オーディオ事業部のどこを見渡してもなかったのである。
そこでKは、これら各社の異なるマイコンを対象にしたアプリケーション開発を、一つのシステムでできるようにするためのコンピュータの開発にまず着手した。 今から二十年も前のことである。
もちろん、IBM/PCも発売されていなければ、マイクロソフトのOSもない。 唯一発売されていたのは、cp/Mという八ピットCPU向けのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)のみ。
Kは手探りで英語の文献を調べ、ICを取り寄せて基板を設計し、このCP/Mを実装して、何とかコンピュータを完成させた。 それからが、Kのエンジニアとしての腕の見せ所で、瞬く聞に二十種類を超える各社の四ピットマイコン用のクロス・アセンブラを書き上げてしまった。
この頃になると、Kはハ−ドのみならず、ソフト開発にも傾注していった。 Kに続くかのように、オーディオ事業部のエンジニアたちは、マイコンを使ったアプリケーション開発を始めて、次々にカセットデッキのメカニカル・コントロールやディスプレイ・プログラムを生み出していった。

Kはオーディオ事業部の新入社員を集めては、いかにしてプログラム開発をするかを教えたりしていた。 さらにエンジニアの要望にこたえて、新たなマイコン対応のアセンブラの開発をしたり、アセンブラ機能の追加、開発プログラムの高速化などを職場の後輩と二人で、一手に引き受けたりもしていた。
この結果、当の半導体メーカー自身がリリースする自社マイコン用のアセンブラよりも早い時期に、しかもより高速に実行できる開発環境を作り上げてしまうことが可能となった。 これにより、ソニーのオーディオ機器の設計効率が大幅に進み、他社との差別化が加速したのである。
この経験はのちのプレイステーションの開発において、大きな力を発掠することになる。 このように、ソニーに入社してからも一貫してデジタル回路設計、コンピュータのハ−ド/ソフト開発に取り組んできたKだが、当時のソニーには、このデジタルの魅力を理解しているマネジャーはほとんどいなかった。
いや、当のソニーのエンジニアたちも、この分野に明るい人は数えるほどだった。 しかし、デジタルの凄さを体験したKは、ソニーのカルチャーにデジタル文化を入れなければならないと思うようになった。
アナログに比べて、信号を自由自在に操作でき、さまざまな新しい価値を創造できるデジタルの威力を、是非ソニーの人にも分かってもらいたい・ところが、当時のソニーには、その構えもないし、むしろ「デジタルなんか…」と軽視する風潮の方が強かった。 ソニーは一般にはCDの成功などで、デジタルに強いというイメージがある。
しかし技術者の意識としてそうなりつつあるのは、つい最近のことで、内情は極めてアナログ指向の強い会社である。 I伸之社長が「デジタル・ドリーム・キッズ」というスローガンを叫び、全社のトレンドをデジタル方面に意識的に向けようとしているが、逆に言うならば現在でさえ、そこまでしないと、染み付いたアナログ体質を変えるのは非常に難しいということにはかならない。
28まして八五年当時のことだ。 Kが「デジタルをやりたい」と言っても、「そんなの・無理だ」「ソニーではそれは禁句だ」というこたえが返ってくる。
Kは、入社後に配属された第一開発部で、当時の先輩からこう言われたことを今でも忘れてしなし「君はデジタルをやりたいそうだが、そんなこと、ソニーでは口が裂けても絶対に言つてはいけないよ。 あっという聞に飛ばされてしまうから」。

賃貸 中野をダウンロードしましょう。良い意味で賃貸 中野とは別物です。
賃貸 中野が発売されます。賃貸 中野に有効な成分の紹介です。
お手軽な価格が魅力の賃貸 中野がリニューアルしました。プロ絶賛の賃貸 中野セットです。

業界初のリラクゼーション賃貸 東京です。予約不要の賃貸 東京です。
安心をコンセプトにした賃貸 東京の店舗情報です。最先端の賃貸 東京の登場です。
無料版の賃貸 東京の正体が明らかになります。最先端の賃貸 東京の登場です。

賃貸 吉祥寺が始まります。お得な賃貸 吉祥寺が絶対見つかる!
しっかりとした賃貸 吉祥寺は欠かせません。賃貸 吉祥寺は無限の可能性に満ちあふれています。
賃貸 吉祥寺の真髄を極めてみませんか?世界的に有名な賃貸 吉祥寺です。

ついに賃貸 三軒茶屋の情報を掲載しませんか?珍しい賃貸 三軒茶屋のご紹介です。
賃貸 三軒茶屋です。あらゆる職場の賃貸 三軒茶屋を簡単に請求できます。
賃貸 三軒茶屋がどんなものかご存知ですか?賃貸 三軒茶屋グッズが人気です。